1974-05-22 第72回国会 衆議院 文教委員会 第29号
これは昭和十九年に出ておりますところの「國体の本義解説叢書」、これは文部省教学局が出しています。親に孝にというのは一体何かという点ですね。これにははっきりと執拗に強調されておる点があるわけです。親に孝にというのはこういうことです。単なる孝行ではないのです。忠孝一体の思想から来ています。
これは昭和十九年に出ておりますところの「國体の本義解説叢書」、これは文部省教学局が出しています。親に孝にというのは一体何かという点ですね。これにははっきりと執拗に強調されておる点があるわけです。親に孝にというのはこういうことです。単なる孝行ではないのです。忠孝一体の思想から来ています。
これはどこから出したかといったら、文部省教学局編纂、これは紀平正美さんというのは「マサミ」と読むんだと思うが、この人はとにかく日本のいわゆる何といったらいいか、国家のほうを代表する一つの教育倫理についての代表的な人だ、もう極端なというくらい。
戦前には御承知のように文部省に教学局があり、さらに付属機関として日本精神文化研究所があり、そこに御用学者がたくさんおりまして戦前、戦時の教学統制をやったわけでありまするが、それにかわるようないわば民間文部省というふうなものの宣伝局なり御用学者が出ていないか、こういう点をわれわれは考えてみる必要があるのでありまして、正直に申せば、相当遺憾な点が戦後の日本にあるのじゃなかろうかと私は思っております。
戦争の最中、特に戦争末期のころには文部省の教学局から派遣された教学官というものがあって、思想的に非常にいろいろ監視を受けた。教材の面においてもあるいはその他一切の日常の行動においても監視を受けた。そういう激しい監視をして、そして教育は一切文部省の権力、国家権力のもとに握られておりましたけれども、一旦いくさに負けてしまってああいう状態になると、国がどれだけの責任をとったかということを私は言いたい。
○田中証人 私は明治三十四年一月十三日生れでございまして、大正十四年東京大学の法学部政治学科を卒業し、直ちに内務省に採用になりまして、地方警視、地方事務官等を歴任し、昭和十年に文部書記官として文部省に赴任いたして以来、教学局書記官兼任文部大臣秘書官等を歴任いたしまして、昭和十七年に関東局の在満教務部長となり、次いで満州国政府において文教府を創設いたしました際に、昭和十八年の四月文教府次長を拝命し、昭和十九年
読みますと、 教科書問題については現在のところ、文部官僚、民主党議員、又はかつての教学局グループが、教育界支配の野望をもって、極めて悪質な策動をしているが、教育の民主化と民主的採択を熱望する大衆の抵抗により阻まれていることから、これを一挙に粉砕し、国定にもっていこうとする意図をもって最近急速な運動を進めて来ている。
○白根証人 学校図書株式会社に元文部省の督学官あるいは教学局長官あるいは国民精神文化研究所の研究員であった人が、戦後図書印刷の方に入って、それが学校図書の方に移って、昨年あたりから逐次文部省に復帰していたという問題につきましては、私の立場上教科書に関係する印刷物は克明に読んでおりますので、詳しくこの事実は承知いたしております。
○松岡(松)委員 それでは、「教学局グループ登場、国定を推進する黒幕」というこの記事の中の、どういう点は一体真実で、どういう点はうそで、どういう点は想像かということを、この「教学局グループ登場」という題目の中の記事についてお話し下さい。
あるいは松下寛一、阿原謙蔵、今たまたま数えたこの名前は、教学局グループ六人衆というもので通っておる人間でありますが、およそこういうような人間が文部省の根元に入り込んで、そして教科書の編さんなどの実情を早く知るような関係になっておるのでありますが、公正取引委員会というものはだれか申告しなければ出動しないというものではない。
○篠田委員長 あなたは、小沼君は文部省で一番最初嘱託みたいなことをしておったと言われましたけれども、文部省教学局思想課長をしておったのではないですか。
○篠田委員長 それでは、元文部省教学局宗教課長の吉田孝一さん、この人が文部省から学校図書株式会社の取締役になったことを知りませんか。
その前の仕事をずっと申しますと、弘前高等学校の教授をやったり、あるいは図書監修官をやったり、教学局の教学官をやったり、教学局の思想課長をやったり、さらに視学官をやったり、それから官房総務、主事をやっておりました。現在は初中局の視学官であります。
これをかって戦争中、教学局の思想課長をしておられたそうでございますが、視学官の、私は名を申し上げる、責任者は小沼さんですが、そういうような特に問題があると人々から思われやすいような、戦争前の教学局におられた人々が、広く今日の識者の反対を押し切って強行するというようなことは、私は日本の教科改訂のためにこれは問題があると思うのであります。
若し我々が教員として政党の制約の下に立ちまするならば、端的に申してナチス的な教育或いはソ連的な教育、近い例ならば実は戦前の教学局的教育、そういうものにならざるを得ないわけであります。少しく誇張していえば、おのずから全体主義的な教育という方向に走つて、民主性は失われるわけであります。そこで実は非常に困難な問題が発生して来るのであります。
それでまた、もう昔の話でありますが、文部省においても教学局という役所がありまして、教授の図書を取寄せてみな調べたり何かいたしまして、たいへん大学の自由、研究の自由を阻害したことがあります。そういうことになつてはたいへんではないか。
なおここでひとつお断りをしておかなければならないのは、こういう組織になりまして、従来のように單に学校とか社会とかいう、その社会層によつて構成せられた局のほかに、教学局とか体育局とか科学局とかいうような内容事項別による局があつたのであります。
(拍手)これは、教学局昭和十六年十一月発行「思想研究」第十三集、百三十六ページを御参照になれば明確であります。ここに朱線を引いておりますから、ごらんになるなら、ごらんを願いたい。かくして、政府のごきげんにかなえば、どんなことでもできるが、一たび少々ごきげんを損なうたならば、法律をかえてでも首を切ろうとする内閣の存在は、大衆の前に受け入れられるでありましようか。